読む力が弱まってきた?

昔より文章が読めなくなってきた気がする。ここでいう昔は、中学生・高校生の頃である。当時は、始業前の10分間に読書の時間があり各自読みたい本を持ってきて読んでいた。おぼろげな記憶ながら、その時は集中が途切れることなく読めていたと思う。だが、大人になってから紙の文庫本を持続的に読むことができなくなってきた。2ページくらい読んだところで思考が別のところに飛んでしまい文の意味が頭に入ってこなくなる。そうして本にしおりを挟んで閉じてしまう。だから一冊の本を読み切るのに時間がかかる。

 

「書く」行為について上手い・下手のレベルがあることは多くの人の共通見解としてよいだろう。文章力を鍛える、という言葉があるほどだ。力(ちから)と付いているのは、それが筋肉のようにトレーニングによって向上できるものであると信じられていることを示している。しかし、「読む」行為についてそのようなことはあまり言及されない。私は読む行為もトレーニングによって鍛えられるものだと考えている。逆に、その「読む力」はトレーニングをしなければ維持できず落ちてしまう。ここでいう読む力とは、読書時の集中持続力、文章読解力、漢字知識など、読書に必要な総合力だと思ってもらえるとよい。

 

その仮説がただしいとしたとき、私の読む力は高校生をピークとして下落の一途を辿っているというほかない。たしかに、高校生時代は教科書や模試問題で長い文章と向き合ってきた。今はそれがない。Twitterを見てばっかりいるから140文字以内の文章を読む力はついているのかもしれないが、それ以上はだめになっているのかもしれない。

 

ここまで書いていて気付いたが、自分が日ごろ目にしている文章すべてに対して読む力の衰えを感じているわけではない。仕事のメールやWeb記事など「横書き」の文章は苦も無く処理できている。文の意味が頭に入ってこなくなる現象が起こるのは常に「縦書き」の文を読んでいるときだ。

 

縦書きを読む力と横書きを読む力はそれぞれ別々に存在しているのではないか。読む力の中でも集中力はとくに文字列の方向に依存しているのはないか。

 

例えば、縦書き文章を読むときの集中力をV(Verticalの頭文字)、横書き文章を読むとき力をH(Horizontalの頭文字)としよう。ここにV=50、H=50の読む力を持つ人がいる。(値が高いほど集中が持続することを示す。単位は任意である。)この人に+30に相当するトレーニングを行う。ただし、トレーニングでは縦書きの本ばかりを読ませる。その場合、Vは50+30=80になるのに対し、Hはせいぜい50+5=55くらいしか上がらないのではないか。

 

高校時代の自分は、国語の問題文や小説で縦書き文章に触れつつその他の教科などで横書き文章にも慣れていたため、V=75, H=75くらいだったが、今は目に入ってくる文章の大部分が横書きであるためにV=20, H=80くらいになっているのかもしれない。

 

上記の主張については仮説の域を出ない。自分の経験を帰納しただけのものだ。どれくらい多くの人にあてはまるのかはわからない。「最近の若者は小説さえ横書きを好む」という意見は『恋空』などのケータイ小説が流行ったときにすでに聞いたことがあるので、すでに語りつくされてきた仮説なのかもしれない。

 

例えば、見開き2ページは横書き文章で書いてあるが、ページをめくると次の2ページは縦書き文章で書いてあり、その次はまた横書きの繰り返し…、みたいな本があったら、脳がつかれそうな気がする(日本語のルールでは縦書きは右から左、横書きでは左から右に文章が進むため、文章の方向が互い違いになってしまう問題もある)。縦書きと横書きとの間に処理負荷の壁を設けているのは眼球運動において使用する筋肉の違いなのかそれとも脳の処理系の違いなのだろうか。