VNTファイルをTXTファイルに変換する

昔使っていたガラケーからメモファイルを取り出したときに少してこずったのでメモ。誰かの役に立てば。

 

背景

不用品整理の一環で、10年前くらいのガラケー(F-02A)のデータをパソコン(Windows10)に移そうとした。ガラケーはとっくの昔に契約を切っているのでもちろん圏外。メールでデータを送ることはできない。MicroSDガラケーにさしてデータをコピーし、パソコンに送った。送ったファイルを見ると、てっきりテキスト形式(.txt)だと思っていたが、.VNTという見慣れない拡張子だった。メモ帳で開けるが読めない。

 

VNTファイル

VNTファイル中身

 

とりあえず「VNT TXT 変換」で検索する。

 

出てきた↓のツールはWindows10には対応していないせいか、起動できない。

vMessage/vNoteファイル変換の詳細情報 : Vector ソフトを探す!

 

Androidのアプリもあるようだが更新が止まっていて、現在主流のAndroid OSには対応していない。

VNote - Google Play のアプリ

 

VNTファイルをそのまま他形式に変換することは諦める。

解決策

 

QR(Quated-Printable)エンコーディングされているので、それを元に戻せばいい。

 

↓を使う。

www.en-pc.jp

 

まずは変換したいVNTファイルをメモ帳で開く。

エンコード/デコードしたい文字列を入れてください」には"ENCODING=QUOTED-PRINTABLE:="から先の”=〇〇"となっている部分をコピペする。

「変換方式」は"デコード(quoted-printable形式データを元のデータに戻す)"にする。

エンコード前、デコード後の文字エンコード」はVNTファイル内の"CHARSET=〇〇"に合わせる

入力画面

「変換」を押すと変換される。

変換結果を新規テキストファイルとして保存する。

 

2023年にガラパゴス化の影響を受けるとは…。

九州北上旅行記

九州を旅行したのでその日記。

旅行を計画するときに考えたこと

  • 1週間ほどで、九州のすべての都道府県(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)に足を踏み入れたい。
  • 福岡から出発して一周するというのはありきたりなので、南(鹿児島)からスタートしたい。
  • せっかくなので船で旅行したい。
  • 九州は車で周るのがよいらしいのでレンタカーまたはマイカーを使いたい。(結局、フェリーにマイカーを載せていくことにした。)
  • 運転は1日6時間以内。つかれがたまるであろう旅行終盤は運転時間を短めにする。

旅行ルート

最終的に旅行したルートが下記。船内で2泊、九州で6泊。 スタート:鹿児島県志布志市、ゴール:大分県別府市

もっていってよかったもの、あればよかったもの

  • フェイスタオル:浴用タオルとして。なくてもホテルに用意されてたりするし現地でも買える。温泉の泉質によって硫黄のにおいが残るのであまり高価なものでないほうがいい。
  • 浴用タオルを入れるビニール巾着的なもの:濡れた浴用タオルを入れられる。ビニール袋でも事足りるが、あると温泉通な感じがする。
  • モバイルバッテリー:スマホでたくさん写真を撮るので。
  • Swarm:旅行したスポットを記録しておくのに便利。

apps.apple.com

play.google.com

  • オフラインで見られる動画・音楽:長距離フェリーの中では電波がないに等しいので暇つぶしに。長距離ドライブのBGMにも。

  • マスク:花粉症シーズンだったのでやや多めに。

  • 新型コロナワクチン接種証明書アプリ:紙媒体で持って行ったけど、アプリにしておけば荷物が少し減ったし紛失する心配もしなくてよかったなあと思う。

新型コロナワクチン接種証明書アプリ

新型コロナワクチン接種証明書アプリ

  • デジタル庁
  • メディカル
  • 無料
apps.apple.com

play.google.com

  • ドライブレコーダー:運転した映像を後で見返すことができる。ただし、SDカード上のデータを毎日移し替える手間を惜しまなければ。

  • ETC機器:高速道路に乗る機会が多いので。

2023/2/28(0日目)

大阪~鹿児島

フェリーさんふらわあに乗る。

15時半ころに大阪港のさんふらわあターミナル第2ターミナルに到着。大きな「さんふらわあ」の船が二艘見える。係員の誘導に従って乗船レーンに駐車する。「16:45までにチケットを買って車に戻ってきてほしい」と言われる。ターミナルで検温し、チケットを買う。プライベートベッド1人。16時から受付開始となっているが実際はもっと早くから受付していた。鹿児島で使える2000円分のクーポンをもらったので、wifiにつないで、アプリ(Region Pay)をインストールしておいてクーポンをチャージしておく。桜島周辺でも使えるようだ。

apps.apple.com

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ターミナルには、お揃いのジャージを来た大学生がいた。大会に行くのだろうか、それとも何かのご褒美旅行だろうか。16:35に車へ戻る。志布志行と書かれた紙をボードのうえに置いておく。カードキーをピッとしてもらい乗船受付完了。すこし車の中で待っていると、前の車が前進しはじめたので、少し急いでエンジンをかけてついていく。緑色のブリッジをわたりフェリーへと入る。係員が「オーライ」と駐車位置を指示してくれるのでそこに止める。荷物を取り出したあと、どちらに進めばいいか分からない、まわりについていくとエレベーターがあった。6階でおりる。共用スペースの丸い窓からは大阪の海がみえる。自分の部屋番号とベッドの場所を確認。二段ベッドの下側だ。オフシーズンなので半分くらいのベッドが空いているようにみえた。キャリーケースはロッカーにいれておく。コイン返却式なのがよい。

17:55に定刻どおり出発。まだ離岸しただけで出発したという感じではない。展望デッキに出るとちょうど日没がみえた。そのまま、フェリーが発進する様子を眺めた。

さんふらわあ展望デッキから夕陽を望む

18時、レストランに向かう。夕食はバイキング形式で1500円。海を見ながらの食事は良かった。

18時40分、展望浴場に向かう。シャンプーなどは置いてあるので、自前のバスタオルとアメニティのタオルを持っていけばよい。すいていて3-4人ほど。洗い場が10箇所ほどあり、浴槽は3つに分かれていて真ん中がジャグジーのようになっている。お湯は海水ではなく淡水であった(それはそう、海水を汲み上げて浄水して流していたらコストがかかる)。大きな窓から外を見たが、すでに夜で暗闇のみがみえた。おそらく日の入りの時間が一番混むのだろう。

ベッドに戻り少しテレビを見てゆっくりする。船内を歩いているときは分からないが、横になっていると少し揺れが伝わってくる。ただ、船の揺れというよりはエンジンの振動のようにも思えた。震度1~2の地震がずっと続いているような感覚。wifiはあるもののスピードはかなり遅い。あるだけありがたいので贅沢はいえない。

アナウンスがあり、20時からプロジェクションマッピングをやるという案内だったので見に行く。卵形の天井に恐竜や宇宙人などの映像が映し出されたあと、大阪の観光名所の360度映像が映し出される。正直、360度映像はプロジェクションしている意味があまりないような気がしたが、まあ無難でよいのでは。謎解きツアーみたいなのがあったので解く。なかなか考えられていた。伏線の張り方が上手いというか。答えをレセプションに出すとさんふらわあ粗品がもらえた。あすも運転しなければいけないので早めに寝ることにする。

2023/3/1(1日目)

志布志桜島~霧島

6:40に起床。7時にレストランが空いたので朝食をとる。朝食もバイキング形式だ。さんふらわあのロゴが入ったさつま揚げがあった。キャリーケースをロッカーからだして着替えを取り出す。

朝食。さんふらわあのロゴが入ったさつま揚げ

7:30ころに展望風呂に入る。窓からは地平線を少し上った太陽と九州の陸がみえた。到着までベッドで待つ。

8:55、志布志港着。先にトラックドライバーから呼ばれてから、歩行者、ドライバーが呼ばれる。カードキーを係員に返却し、甲板に向かう。車に乗り込み9:10頃下船。

カーナビで「有村溶岩展望所」を目的地にセットし、一路桜島へ。志布志から大熊半島を横切る220号線はほとんどのところで道が広く走りやすい。南国風の木が植えてある。菜の花畑もあちこちに見えた。山の側面が白い、これがシラス台地なのだろうか。山々を抜け、鹿児島湾と桜島が見えたときはテンションが上がった。桜島口交差点を左折し、224号線に入る。有村溶岩展望所は急に現れたため通りすぎてしまった。道の駅桜島でトイレ休憩。物産館という感じだ。真ん中にレジがあるのが少し変わっている。少し車を走らせて桜島ビジターセンターへ。工事のためプレハブで仮展示中という掲示があったがそんなことはなかった。まだ工事前なのか、もしくはすでに終わったのかもしれない。出身県と人数を書いて入館。科学的な解説が見られ面白かった。写真撮影もオーケーだった。働いている方は学芸員の方のようだ。「しまつみ」というお土産をクーポンを使って購入。

ビジターセンターの出口には火山灰でいっぱいになったちりとりがあった。観光客には珍しいが地元の人にとっては当たり前の光景なのだろう。

そのまま徒歩で溶岩なぎさ公園へ。鹿児島港から桜島へやってくるフェリーが往来していく。溶岩なぎさ遊歩道へ。溶岩が冷えて固まってできた黒いゴロゴロとした岩が海岸を埋め尽くしている様子はレアだ。

溶岩なぎさ遊歩道の光景

道に黒い火山灰が積もっているところがあり靴底からギュっとした感触が伝わってくる。この遊歩道、思ったより長い。歩きだとまあまあ歩く。黒い岩も途中で見飽きてしまった。クロマツの枯れ葉が道に敷き詰められているので自転車だとスリップの危険がありそうだ。せっかくなので烏島展望所へ歩く。 烏島展望所あたりの森林は鹿児島大学の実験林になっているらしい。 烏島展望所に上る。石碑を見てはじめて「からすしま」であることを知った。勝手に「とりしま」と読んでいた。ここには島があったが桜島噴火によって飲み込まれてしまったとのこと。薩英戦争の舞台にもなったらしい。

烏島展望所の説明パネル

烏島展望所を降りて水飲み場で水分補給する。3月の頭だか春の陽気で少し暑い。帰りは遊歩道ではなく桜島溶岩道路を歩いてビジターセンターに戻る。途中途中に避難壕がある。桜島民は噴火と隣り合わせで暮らしている。

ビジターセンターにもどってなぎさ公園の足湯に入る。白く濁っていて、思ったより水温が高い。42-43℃ありそうだ。

歩いて背中が汗ばんだので、すぐ近くにあるマグマ温泉に入ろうとしたが工事中の看板で入口が封鎖されていた。工事業者のような方が建物から出てきていたのでもうやっていないのかもしれない。

近くのA-coopに立ち寄る。菓子コーナーの端に「あくまき」という見慣れない菓子を目にする。調べると南九州の郷土和菓子らしい。とりあえず、おにぎりと麦茶を購入。昼食とする。時間は13時半ころ。山道を運転し、湯之平展望所(読みは「ゆのひら」)へ。駐車場に人懐こい猫がおり餌をねだってニャーと鳴いてきた。眼前にそびえる北岳と南岳は迫力があった。景色を見ながら残りのおにぎりを食べる。一度スマホを地面に落としたら火山灰だらけになってしまった。

湯之平展望所から桜島北岳・南岳)を眺める

山道をおり黒神埋没鳥居へ。途中海沿いの景色は格別だった。車を停めて海の写真をとったが保存されないうちにカメラアプリを終了してしまったのか保存されていなかった。残念。途中造船所をいくつか見かけた。

黒神埋没鳥居は黒神小学校、中学校の隣にあった。本当は腹五社神社というらしい。学生が毎朝きれいに掃除しているらしい。学習教材として使われているようだ。

桜島から垂水へ。道の駅たるみずで休憩。桜島の写真をとる。湯之平展望所から見えた北岳と南岳が横に並んでいる構図も良いが、東から見ると南岳の噴火口が見えてこれも良い。

道の駅たるみずから桜島を望む

チェックインの18時に少し余裕があるので霧島神宮へ向かう。途中給油した。

16:40ころ霧島神宮到着。大きな鳥居を車でくぐる。霧島神宮は本宮の近くまで車で上がってこれるので足に優しい。朱塗りで、細工が首里城を思わせる南国の雰囲気がある。地理的に影響しているのかもしれない。

霧島神宮

受付の建物には何人かの巫女さんがおり会話に興じていた。御簾の奥では琵琶の音が聞こえた。録音なのか生演奏なのかはわからない。坂本龍馬が見上げたかもしれないご神木もあった。駐車場には3月にもかかわらず桜が咲いていた。

霧島神宮から霧島温泉郷の道は山道であった。明日の朝もここを通らなければならないと思うと少し怖く思う。山道を抜けると白煙の上がった霧島温泉に入る。

18時前、ホテルにチェックイン。思ったより豪華なホテルだ。ここでも鹿児島2000円クーポンをもらう。19時にレストランで夕食。高級感がありウェイターがコース料理を持ってきた。夕食後、露天風呂もみじの湯に入浴。他に客は1人しかいなかった。お湯は無色透明で湯の花が浮いていて硫黄の匂いがした。余談だが、不溶性沈殿物を「湯の花」と命名した人はイメージ戦略の天才だと思う。露天風呂は少し雨が降っていた。

2023/3/2(2日目)

霧島~日南~臼杵

6:50起床。7時、展望風呂に行く。天気が良いと桜島まで見えるようだが霧雲がかかっていて遠くのほうは見えない。ある意味「霧島」らしい天気といえるかもしれない。浴衣から洋服へ着替え、そのままレストランへ。7:30朝食。朝食券を受付に渡して入場。バイキング形式。昨日みかけた「あくまき」もあったので食べてみる。ほとんど無味でほのかにもち米の味がした。きな粉をつけて食べるのがデフォルトのようだ。マンゴージュースが美味しかった。8時半ころチェックアウト。駐車場においてあった車に火山灰がついていた。

山道を運転し高原ICへ。途中高千穂岳がみえた。高速にのる。都城市にある山之口SAで休憩。宮崎で一般道におりる。降りるとき、迷ってへんなところに入り込んでしまった。ヤシの木(?)が並んだ明媚な道路だ。青島方面と日向方面で道路がふたまたにわかれており日向方面へ進む。フォトパーキング(青地で”P"の右下にカメラのマークがある標識)があちらこちらに整備されており、きれいな海を撮ることができる。いるか岬というフォトパーキングで海を見ていたところおじいちゃんに話しかけられた。ナンバープレートの都道府県を見て旅行者だと思ったから話しかけてくれたのだそうだ。レンタカーでなくてマイカーで来て良かったと思った。おじいちゃんは都城市に住んでいてたまにこうして海を見に来るという。「旅は一期一会だから」といって手製の湯飲みをもらった。

サンメッセ日南。入場料は1000円。有名なモアイ像が並んでおり、背後には青い海が一望できた。人工芝だった。

サンメッセ日南モアイ像
サンメッセ日南から見える青い海

来てから知ったのだが、ここはある宗教団体の関係施設で、昭和62年までは牧場だったらしい(当時のものだろうか餌場もあった)。観光客はそういった宗教色はうまいこと深追いせずに楽しむのが良いと思う。昆虫標本の展示スペースもあった。リクガメもいた。

近くの鵜戸神宮へ。白い鳥居を抜けてからは対面通行ギリギリの隘路だ。砂利の駐車場に停めたら、奥にちゃんとしたアスファルトの駐車場があった。車を動かすのも面倒くさいのでそのままにしておいたが、もしかしたら崖が崩れるのではないかと参拝中ヒヤヒヤしていた。

鵜戸神宮は海の近くの崖の洞窟にある。ウサギがシンボルのようだ。眼下には荒々しい海と奇岩がみえた。

鵜戸神宮

駐車場に戻ると、崖崩れは起きていなかったが、パトカーが来ていて2台の車に聞き取りを行っていた。狭い道ですれ違いのときに接触事故でも起こしたのだろうか。事故は起こさないに越したことはない。とくに旅行中は。

道の駅フェニックスへ。昼食にチキン南蛮でも食べようかと思っていたがレストランは閉まっていた。日向夏ソフトクリーム(400円)を購入し、鬼の洗濯岩をみながら食べる。

道の駅フェニックスのレストランは2022年3月31日に閉店しているので注意。

日向夏ソフトクリーム

臼杵へ。宮崎市から高速に乗る。片側一車線となり遅い車がいるとボトルネックになる。ところどころにある追い越し車線で追い抜くという感じ。途中熊本と大分方面に別れるところがトリッキーでXになっていた。180kmガソリンスタンドなし区間があったがまあ持つだろうということどそのまま続行。延岡市の道の駅北川はゆまで休憩。西郷隆盛と縁のある地のようだ。

臼杵市の手前に津久見市という地がある。なんか聞いたことある名前だなあと思っていたがドライブ中に思い出した。大学生のとき、生協食堂のメニューで「津久見ひゅうが丼」というのがあり、好きでよく食べていたのだ。人生は変なタイミングでどうでもいい伏線回収があるものである。

17時40分頃臼杵に到着。五嶋旅館は川沿いの民家のなかにあった。電柱の標識がなければ入口がわからなかっただろう。かなり隘路。駐車場は4台ほど。部屋に案内してもらう。8畳間2部屋を繋げた感じ。こたつがあった。

18時に夕食。臼杵の特産のもちや豆腐、ぶりやたいの刺身、たいの蒸し物、かますの焼き魚、とり天などが出た。

19時にお風呂。ユニットバスで自宅にあるものよりふた回りほど大きい。ご主人がキャンドルを点けてくれた。スマホで音楽を流せるようになっていた。 旅館建物はレトロチックで決して新しくはないが、細かな心遣いが見られた。先ほどのお風呂もそうだし、トイレにも芳香剤がおいてあったり部屋に間接照明がおいてあったりしている。来た時はエアコンやこたつがすでにあっためられていた。この旅館は楽天トラベルで予約したのだが、そうやって楽天トラベルに掲載することも利用客を増やそうという心遣いなのかもしれない。

20時くらいに寝落ちして深夜2時くらいに目が覚めた。花粉症なのか鼻水がとまらない。

2023/3/3(3日目)

臼杵やまなみハイウェイ~熊本

6:50起床。浴衣から洋服に着替える。

7:10朝食。黒藻(くろも)という海草が入った味噌汁が粘り気があって美味しかった。部屋に戻り荷造りして8:20旅館を出る。ご主人が駐車場まで見送りに来てくれた。少し立ち話。祖母、母、ご本人と旅館をやっており三代目らしい。生まれは臼杵だが10年間くらい関東で働いていたという。自分の地元にも出張で一回来たことがあるらしい。「自分の境遇に似ているのでシンパシーを感じますね」とか言えればよかった。

車を駐車場において臼杵城趾を見に行きたいと伝えると、臼杵城趾と臼杵ごはんの案内パンフレットをもらえた。

臼杵城へは徒歩10分ほど。稲荷神社のたくさんの鳥居が連なる階段を登る。かつて臼杵城があったところは公園のようになっていて市民の憩いの場となっている。空堀はきれいに残っていた。春になると桜まつりがあるらしい。

臼杵城趾をおりて城下町へ。本町から畳屋町を歩き、Uターンして二王座の通りを歩く。昔ながらの雰囲気がある。金沢や飛騨高山の古い町並みと似ていて、観光ポテンシャルとしてはだいぶ高いと思う。だが、観光客向けのショップはあまりないのと、普通に人が住んでいて車の往来が結構あることから、観光地として有名になってしまうといろいろ問題が発生しそうではある。

臼杵城下の街並み

五嶋旅館へ戻り、車に乗る。高速に乗り、湯布院へ。途中高崎山や別府岳がみえた。別府湾SAで休憩。

湯布院ICをおり、道の駅ゆふいん着。もう少し東にいくと湯布院の市街地があるがそれは後日にしよう。やまなみハイウェイに向かう。最初はぐねぐねとした山道を登る。

九重(くじゅう)のあたりまでくるとまっすぐな道と目の前に連峰がみえる。景色が気持ちいい。

12 30、長者原ヘルスセンターカレーうどんを食べる。

長者原ヘルスセンター駐車場からの景色

牧ノ戸峠でトイレ休憩。ひんやりとしており雪が少し残っていた。

熊本県に入るとまた少し山道になる。そのあと景色がひらけ阿蘇の山並みが目に飛び込んでくる。野焼きをしている姿があった。(野焼きのタイミングによってはやまなみハイウェイが通行止めになることもあるらしいので注意。)

大観峰に向かう。枯草色に覆われた丘のなかを走っていると日本ではないような気さえしてくる。大観峰からは阿蘇カルデラが一望できた。平日にもかかわらず多くの観光客がいた。外国の方も多い。

大観峰から阿蘇カルデラを展望する

帰りは、自衛隊の「操縦訓練」と掲示されたトラックの後ろになった。ずっと法定速度だし追い越し禁止だしで、時間がかかった。まあでも後ろからあおられても自分のせいじゃないと思えるので気が楽だ。

菊陽町TSMC熊本の建設現場に立ち寄る。クレーンが遠くからみえるのでわかりやすい。工業団地と言われているが、ソニー東京エレクトロン、短期大学くらいが寄り集まっているくらいの狭い団地だ。周りは畑や牛舎などがある牧歌的な風景だった。

阿蘇から菊陽を通って熊本市に向かう道路は、全体的に交通量に対して道路のキャパが足りてない印象を受けた。2車線あるべきところが1車線しかなく、3車線あるべきところが2車線しかない。追い越しと右折レーンが別れておらず、右折待ちで追い越しレーンが埋まってすぐに渋滞が発生する。結論、渋滞ばっかであまり気持ちいいドライブはできなかったということだ。たまたま混んでいる時間だったのかもしれないが。

16時、熊本城着。2016年に発生した熊本地震の修復工事が行われている。特別ルートとして橋が設置されており、その上を歩く。天守閣内部は展示スペースとなっていた。16:50に閉場ということであわただしく鑑賞した。

熊本城。古い木造建築と現代の曲線アーチ橋の対比は今しか見られないのかもしれない。

17:10、熊本城をあとにし近くの物産館へ。 17:45、車を近くの立体駐車場に停めて、アンドコンフィホテル熊本城ビューにチェックイン。黒亭下通店熊本ラーメンを食べた。とんこつなのに舌に残る感じがない。

熊本といえば、こんな唄がある。

あんだがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ

「肥後手まり唄」の発祥地と言われる船場町(諸説アリ)もこの辺らしいが時間の関係上立ち寄らなかった。

2023/3/4(4日目)

熊本~天草~島原~長崎

6:30起床。シャワーを浴び、着替える。

7:00朝食バイキング。ロビーに武将の身なりをした人たちが集まって賑わしい。調べると、熊本城でイベントがあり各地のおもてなし武将隊が集まるらしい。戦国時代の身なりをした人とスタッフがマイクロバスにのりこんでいった。

天草へ向かう。道の駅宇土マリーナ上天草さんぱーるで休憩。天草五橋を渡る。たくさんの島々が浮かんでいた。途中、松島有料道路を通る。ETCXというETCでは通れない規格のため現金支払い。

天草市の中心は合渡(ごうど)というところらしい。そこにある天草キリシタンに向かう。一揆が起こる変遷の説明展示を見た。島原一揆の陣中織が展示してあった。

車を南に走らせ崎津教会へ。小さな港町といった感じで風情がある。猫もいた。

熊本県クーポン残り1000円を崎津教会近くのレストランで使おうとしたが、寿司セットはかなりのお値段だったので止めた。ほかにクーポンが使えるところがないかアプリで調べると南風屋(はいや)というお店が見つかった。南蛮柿餅とぶたもちを買った。ぶたもちを「その場で食べます」と伝えたところ、応対してくれたおばあちゃんが店内に招き入れられお茶を振る舞ってくれた。おばあちゃん2人は、はっさくを食べていた。おしゃべり好きなおじいちゃんが1人いらっしゃって、いろいろ世間話をした。旅行っぽいことをしているなという気分になった。

崎津教会と南風屋

崎津漁港からマリア像を見てから大江教会へ。こちらは高台にあった。区民会館みたいなかんじで地域の集会所として使われているんだろうなと感じた。100円を寄付箱に入れてパンフレットをもらった。ここら辺のお墓はいわゆる仏教式のお墓の上に十字架が立っていたり「〇〇家之墓」の上に十字架が刻印されていて独特だ。

天草と島原は橋でつながっていない。フェリーに乗る必要がある。天草から島原へ行くのに16:45発のフェリーに乗ることにしたが、今鬼池港に向かうと中途半端に時間が余る。15分くらいでさくっと見終わるつもりで天草ロザリオ館に入った。ところが最初に15分間のムービーを見ることになったので予定が崩れた。ムービーが終わったあと他の展示を流し見て鬼池港に向かう。

焦りは禁物だと内心思いながら、焦って運転して出航5分前くらいの16:40に鬼池へギリギリ到着。受付で切符を購入。車をフェリーに入れ、デッキに上がる。鬼池口之津を結ぶフェリーは3階建てで一番下が自動車置き場となっている。

30分ほどで口之津港に到着。そのまま長崎市内まで運転した。雲仙はゆっくり見れなかったので次の機会に。ホテル駐車場が満杯なので近くのコインパーキングに駐車。

フェリーくちのつからの景色

18時頃、ホテルニュータンダにチェックイン。地元のアメフト部が宴会をやっているようで、体育会系な乾杯の挨拶がエレベーターを待っているときに聞こえてきた。部屋の設備はやや古めなようだった。Wi-Fiがパスワードなしで階ごとに1つ飛んでおり電波がめちゃくちゃ弱かった。いつもはホテルのWi-Fiにつないでその日とった写真をクラウドにあげていたがこの日はあきらめた。部屋によってはもっとつながりやすいのかもしれない。

夕食を食べに出かける。中華街の京華園でちゃんぽんとと炸多絲(ファトースー)を食べる。7組待ちで15分ほど待ったと思う。クチコミではちゃんぽんは薄味だとかかれていたが、美味しかった。

腹ごなしに長崎のまちなかを歩く。眼鏡橋を撮る。長崎原爆の際に目印だったと看板にかいてあった。

ホテルへの帰り道、「我が国最初の気球飛揚の地」と刻まれた石碑があった。幕末~明治に長崎に来た外国人がここでいろいろな日本初を開催したようだ。

ホテルにいると、長崎市がすり鉢状の地形になって音が良く響くのか、救急車のサイレンや整備不良なマフラーの音が聞こえる。

2023/3/5(5日目)

長崎~吉野ヶ里大宰府~福岡

8:00チェックアウトし、車に荷物をおき、徒歩でグラバー園に向かう。オランダ坂を登り、東山手甲十三番館を遠目に見て歩く。長崎のオランダ坂は、札幌の時計台、高知のはりやま橋と並んで「日本三大がっかり名所」と言われることがある。たしかに、オランダ坂はただの斜面である。だが、真に観るべきは斜面そのものではなくオランダ坂をとりまく異国情緒のある建築だ、それらを含めて「オランダ坂」なのだ、とオランダ坂の名誉のために書き記しておく。

グラバースカイロード(エスカレーターとエレベーター)で高台に上がってグラバー園に入場。グラバー園には第1ゲートと第2ゲートがあるが、第2ゲートから入場すると園内はずっと下りなので楽かもしれない。

グラバー園にある洋風の建築は全て最初からここに建てられていたのではなく後で一ヶ所に集められたものらしい。幕末~明治にかけて住んでいた外国人と日本人の交流や、家族がいて暮らしがあったことがわかる。

グラバー園展望所からの景色

グラバー園を出て大浦天主堂へ。崎津や大江教会よりもふた回りほど大きい。隣には資料館になっている建物が2つあり、日本におけるキリスト教の変遷について解説されている。隠れキリシタンは平戸系(掛け軸などを崇拝対象とする)と島原系(観音像をサンタマリアに見立てたり銭を十字にしたりする)にわかれるらしい。郷土史料館では長崎くんちの山車や傘などが展示されていた。

この旅行をともにした車は中古で購入したのだが、車庫証明長崎県長崎市になっていた。自分にとっては初めての場所だが、この車にとっては里帰りでもしかしたら何度も走った道だったのかもしれない。などと思いを巡らせたりもした。

長崎インターチェンジから高速に乗る。今村PAで途中休憩。東脊振インターチェンジで降りて、13時頃、佐賀・吉野ヶ里歴史公園に到着。吉野ヶ里歴史公園は予想していたよりも広い。遺跡が復元されている環濠集落ゾーンは公園全体の4分の1ほどのエリアであるが、それでも広い。セグウェイや自転車のレンタルサービスがあれば人気が出そうだ。

公園の出口で、グッズにつられてアンケートに回答した。「吉野ヶ里歴史公園にまた来たいと思いますか?」という設問があったが、記入するところを調査アルバイトの人にまじまじと見られている中で「もう来たくない」を選択できる人はいないのではないか。そういう調査バイアスがかかっていそうだということをここにひっそりと書いておく。秘密投票は大事。

吉野ヶ里歴史公園。とにかく広い。

14:40、吉野ヶ里歴史公園のレストランで遅めの昼食をとる(ミートソーススパゲティ)を食べる。東脊振インターチェンジから再び高速に乗り、太宰府天満宮へ。

16:30、太宰府天満宮着。駐車料金500円を支払う。太宰府天満宮は、閑静なところだろうと思っていたのだが、かなり観光地っぽく周辺には祭り屋台が並んでいた。日曜日で、さらに梅の開花シーズンということもあってか、かなりの人出。

太宰府天満宮門前町は混んでいた

2023年5月14日まで仮殿建設中。

太鼓橋を渡る。本殿の前に仮殿が建設中(2023年5月14日まで)で、本殿を斜めから参るかたちとなった。菅原道真公の後を追いかけて飛んできたとされる「飛梅」もあった。本殿の裏には稲荷神社があった。鵜戸神宮にも稲荷神社があったが、パーティにいれておくと全体バフがかかるようなサポート効果でもあるのだろうか?太宰府天満宮の奥にはトンネルがあり、そこを抜けると九州国立博物館がある。すでに閉館している時間だったので外観だけを見た。御神牛の像があり、撫でたところが良くなるそう。とりあえず頭を撫でておいた。花粉症だったので鼻も撫でておいた。

18:30頃、福岡市にある浜の町病院前SBホテルにチェックイン。このホテルは「親不孝通り」という繁華街に近い。この名前は多くの浪人生が勉強もせず遊んでいたことから名付けられたという。自嘲的に命名され定着したという点ではイエローナイフの"Ragged Ass Street"に似ているなと思った。

夕食はShin Shin天神本店へ行った。人気店だけあって15人ほどが並んでいた。並んでいる間、ラーメン発見伝の「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!」というセリフが脳内にリフレインしたが、なんとかして振り払う。人気があるということは多くの人に評価され風雪に耐えたものであるはずだ。カウンター席に通され、煮玉子入りラーメンを食べた。美味しかった。こういうときに味を表現する語彙がないのに気づかされる。

2023/3/6(6日目)

福岡~由布~別府

7:30、ホテルで朝食をとる。8:30頃出発。10:40、山田SAで休憩。明太子を買おうかと思ったが足が早そうなので止めておいた。

12時、由布市金鱗湖に到着。金鱗湖から由布院駅へ散歩する。湯布院町のメイン通りである湯の坪街道にはたくさんのおしゃれなショップが並んでいる。スヌーピーミッフィーアルプスの少女ハイジハローキティといったキャラクターショップもある。人気がある理由がなんとなくわかる。太宰府天満宮に負けず劣らず人出が多い。海外からの観光バスも何台も止まっていた。福岡空港はアジアに近いから比較的訪れやすいかもしれない。由布院駅あたりには馬車や人力車もあり、これもおしゃれだ。

金鱗湖

13時頃、通りにあるお店で昼食(肉うどん)を食べた。由布から下道を通り別府に向かう。山を登るので道がグネグネしているが、景色がきれいなのでそれほど苦にはならない。自動車のスポーツモードが役に立った。

15時頃、別府公園東側駐車場に車を停める。ナンバープレートが自動的に記録され駐車券が要らないというハイテク仕様である。信号を渡り書肆ゲンシシャへ。ここはツイッターで見て一度行きたいと思っていた場所。万人におすすめできるわけではないがタブーやアングラめいたことが好きな人は好きだと思う。店主からテーマ表を渡され、その中から2つのテーマを選ぶと、本を見繕って書庫から出してくれる。読書1時間+ドリンクで1000円。何を選んだか何を読んだかはここには書かない。最後に+500円で骨董品の説明を聞いた。店主の説明のよどみなさからほんとに好きなんだなあという思いが伝わってくる。

16:40、この日宿泊するもと湯の宿黒田やにチェックイン。大分の全国旅行支援クーポン2000円分をもらう。鹿児島、熊本、長崎はRegion Payにクーポンをチャージする形だったが、大分は独自のアプリ「おおいた満喫クーポン」を使用するようだ。謎のガラパゴス化が起きている。

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18時、レストラン東洋軒で夕食(とり天定食)。宿泊ホテルに戻り、温泉に入った。浴衣を着て、周辺をブラブラする。最初は草履で外出しようと思ったが石畳を歩くのは痛そうなので靴に履き替えた。いたるところで排水溝から白い湯気がたっていて湯量の豊富さがうかがえた。

鉄輪温泉街。道路から湯気が立っている。

2023/3/7(7日目)

別府

7:30、朝食。バイキングではなく御膳スタイルだった。この日は別府市内の観光なのでのんびりできる。9時頃にチェックアウト。

この日は別府地獄めぐりをする。9:15、徒歩で、一番近くにあった白池地獄へ。JTBのショップであらかじめ地獄めぐり共通観覧券を購入しておいたのだが、「海地獄に行って紙の共通観覧券に替えてください」と言われた。電子版を購入した方は注意してほしい。10分ほど歩いて海地獄の受付でQRコードを見せて紙の共通観覧券をもらう。そのまま海地獄へ入場。少し坂を登ったところに赤色の湯が沸いている地獄と熱帯植物園がある。オオオニバスはシーズン外なのか大きい葉は見当たらなかった。建物を抜けたところにコバルトブルー色の海地獄がある。かなり高いところまで湯気が立ち上っていた。

海地獄の隣にある鬼石坊主地獄へ。泥湯からぶくぶくと沸き上がり坊主の頭のような形状を見せている。静止画で撮ると絵面が地味になる。足湯もあったがタオルを車の中に置きっぱなしにしていたので入るのは止めておいた。

別府地獄めぐりは、7つある地獄がそれぞれ工夫をこらしてオリジナリティを出して競っている感じがする。海地獄のとなりに山地獄という動物と触れ合えるスポットがあった。ここは「地獄めぐり」のスポットには含まれていない。だが、地獄協会の一存で、もしかしたら、地獄めぐりに登録された地獄は7つからさらに増えていくのかもしれない。

横断歩道を渡り、かまど地獄へ。一丁目から六丁目までいろんなバリエーションの湯の池があり、それぞれ説明板が置いてある。「鬼滅の刃」との関係性を熱烈にプレゼンしていた。4番目は鬼山地獄。入るとすぐに大きな温泉がある。温泉の熱を使ってワニが飼育されている。5番目は白池地獄。ほかの地獄より和の雰囲気。温泉の熱によって熱帯魚を飼育している。

あとの2つの地獄は少し離れたところにあるので車で5分ほど移動。6番目の血の池地獄は人工的に思えるくらい褐色な池が広がっている。最後は竜巻地獄。入場すると店員さんが「あと20分くらいで噴出しまーす」と教えてくれる。だいたい40分くらい周期で噴出しているそう。階段状になっているテラスに座って待つ。日本語の説明アナウンスの後に英語アナウンスが流れる。世界的にも噴出周期がとても短い間欠泉らしい。噴出間近になると満員近くになった。噴出が始まると「おおーっ」と歓声が上がり、満足した人から退場していく。噴出は8~10分ほど続く。

左:海地獄、中:鬼山地獄のワニ、右:竜巻地獄

12:20、血の池地獄の隣にあるお食事処極楽亭で血の池バーガーを食べた。

12:40、別府温泉保養ランド着。ここは鉱泥温泉に入れる。泥湯なので普通のお湯より循環がゆっくりなのか、熱いところとちょうどよい湯加減のところがある。お湯の流れを見極めるのがよい。また、流れの行きつく先は足元に泥がたまっているので肌に塗ったりした。柵でしきられているとはいえ混浴なので、泥湯のなかでどちらを見るかにちょっと気をつかったりする。蒸し湯の中は、手元が見えないほどに水蒸気が立ち込めていて、「これ、万が一、二酸化硫黄ガスが溜まって中毒で倒れてても気づいてもらえないなあ」と危険味を感じてしまったので早めに退散してしまった。このときに使ったタオルは旅行から帰った後も硫黄のにおいがして、旅行を思い出す。

船に乗るために別府港には16時に着けばいいので3時間ほど暇になる。お湯から上がって1時間ほどぼーっとしていた。「いぬやしき」の1巻だけ休憩室の本棚にあったので読んだ。瓶のコカ・コーラを買って飲んだ。車の中で仮眠をとる。

ガソリンスタンドで帰りのガソリンを入れ、16:20、別府さんふらわあターミナル着。行きと同様に手続きを済ます。大阪に帰る人が多いのか関西弁が聞こえる。乗船時間になり車を運転しフェリーに乗せた。階段で上階に。乗船した「さんふらわあ くれない」は2023年1月に就航したばかりの船でピカピカだった。18時、夕食ビュッフェ。多少お値段は張るが(2000円)、その分豪華なメニューである。チョコレートファウンテンもある。18:45別府を出港。夕食を食べながら窓から離岸する様子を眺める。九州ともこれでお別れである。19時半ごろ入浴。大阪府の旅行支援クーポン2000円分をもらったが、大阪観光の予定はないので船内の売店で使い切った。売店は九州土産と大阪土産、さんふらわあ限定グッズが売っている。九州土産のエリアが一番広いので、近畿から九州に行く人がその逆より多いのかもしれない。

20時、プロジェクションマッピング。画質も見せ方も、行きのフェリーのものよりも進化していた。宇宙人(タコ)のキャラが同じなので映像を作っている会社は同じっぽい。演出になんとなくパチンコっぽさがあった。

等級はプライベートベッド。運悪く隣で寝ている人のいびきが気になった。ただ突然静かになるとそれはそれで不安になる。

2023/3/8(8日目)

5時半ころ起床。お風呂に入り着替える。6:10ころ朝食。6:35着なのであまり時間がない。急いで食べる。6:20頃、大阪に着岸。下船開始。

かかった費用

宿泊料金や入場料は大人1人分のもの。有料道路は軽自動車の料金。 クーポンやお土産は除く。

合計:156879円。

日時 都道府県 場所 用途 支払額 備考
2023/2/28 大阪 大阪ターミナル さんふらわあ 乗船代 ¥38,270 A期間、プライベートベッド1名+乗用車4m未満、復路割引
2023/2/28 さんふらわあ さんふらわあ さつま 夕食 ¥1,500
2023/3/1 さんふらわあ さんふらわあ さつま 朝食 ¥620
2023/3/1 鹿児島 Aコープ桜島 昼食 ¥311 麦茶とおにぎり2個
2023/3/1 鹿児島 セルフステーション清水SS ガソリン ¥2,606
2023/3/2 鹿児島 霧島観光ホテル 宿泊 ¥13,200 夕食あり朝食あり
2023/3/2 鹿児島 霧島観光ホテル 旅行支援割引 -¥2,640
2023/3/2 鹿児島 霧島観光ホテル 入湯税 ¥150
2023/3/2 鹿児島→宮崎 高原IC→宮崎IC 有料道路 ¥1,330 ETC
2023/3/2 宮崎 サンメッセ日南 入場料 ¥1,000
2023/3/2 宮崎 宮崎IC→北川IC 有料道路 ¥2,410 ETC
2023/3/2 宮崎→大分 北川IC→津久見IC 有料道路 ¥450 ETC
2023/3/2 大分 津久見インターSS ガソリン ¥3,680
2023/3/2 大分 五嶋旅館 宿泊代 ¥10,800 夕食あり朝食あり
2023/3/2 大分 大分米良IC→湯布院IC 有料道路 ¥1,170 ETC
2023/3/3 大分 長者原ヘルスセンター 昼食 ¥800 カレーうどん
2023/3/3 熊本 APパーク桜町 駐車料金 ¥300
2023/3/3 熊本 熊本城 入場料 ¥800
2023/3/3 熊本 黒亭 下通店 夕食 ¥1,020 玉子入りラーメン
2023/3/3 熊本 &and COMFY HOTEL熊本城ビュー 宿泊代 ¥13,400 夕食無し朝食あり
2023/3/3 熊本 &and COMFY HOTEL熊本城ビュー 旅行支援割引 -¥2,280
2023/3/3 熊本 アンピール 駐車料金 ¥1,000
2023/3/4 熊本 松島道路料金所 有料道路 ¥150
2023/3/4 熊本 天草キリシタン 観覧料 ¥300
2023/3/4 熊本 大江教会 パンフレット ¥100
2023/3/4 熊本 天草ロザリオ館 入場料 ¥300
2023/3/4 熊本 島原鉄道鬼池営業所 島鉄フェリー ¥2,430
2023/3/2 長崎 長野IC→長崎IC 有料道路 ¥460 ETC
2023/3/4 長崎 京華園 夕食 ¥1,630 ちゃんぽんとハトシ
2023/3/5 長崎 ホテルニュータンダ 宿泊代 ¥8,500 夕食無し朝食あり
2023/3/5 長崎 ホテルニュータンダ 旅行支援割引 -¥1,700
2023/3/5 長崎 リパーク長崎大浦町 駐車料金 ¥2,100
2023/3/5 長崎 グラバー園 入場料 ¥620
2023/3/5 長崎 大浦天主堂 入場料 ¥1,000
2023/3/5 長崎 グラバー邸下SS ガソリン ¥3,320
2023/3/2 長崎 ながさき出島道路 有料道路 ¥100 ETC
2023/3/2 長崎→佐賀 長崎IC→東脊振IC 有料道路 ¥1,690 ETC
2023/3/5 佐賀 吉野ヶ里歴史公園 駐車料金 ¥310
2023/3/5 佐賀 吉野ヶ里歴史公園 入場料 ¥460
2023/3/5 佐賀 吉野ヶ里歴史公園 昼食 ¥920 ミートソースパスタ
2023/3/5 福岡 太宰府天満宮 駐車料金 ¥500
2023/3/2 福岡 水城料金所→築港料金所 有料道路 ¥560 ETC
2023/3/5 福岡 Shin-Shin 夕食 ¥890 煮玉子ラーメン
2023/3/6 福岡 浜の町病院前SBホテル 宿泊代 ¥5,100
2023/3/6 福岡 浜の町病院前SBホテル 宿泊税 ¥200
2023/3/6 福岡 アイラ長浜パーキング 駐車料金 ¥2,200
2023/3/2 福岡→大分 小郡IC→湯布院IC 有料道路 ¥2,590 ETC
2023/3/6 大分 金鱗湖前駐車場 駐車料金 ¥300
2023/3/6 大分 利光商店 昼食 ¥1,250 肉うどん
2023/3/6 大分 別府公園東駐車場 駐車料金 ¥100
2023/3/6 大分 もと湯の宿 黒田や 宿泊代 ¥9,000 夕食無し朝食あり
2023/3/6 大分 もと湯の宿 黒田や 旅行支援割引 -¥1,800
2023/3/6 大分 もと湯の宿 黒田や 入湯税 ¥250
2023/3/6 大分 レストラン東洋軒 夕食 ¥1,430 とり天定食
2023/3/7 大分 地獄めぐり共通券 入場料 ¥2,000
2023/3/7 大分 血の池地獄 極楽亭 昼食 ¥1,000 血の池バーガー
2023/3/7 大分 DDセルフ別府鶴見店 ガソリン ¥3,174
2023/3/7 大分 別府国際観光港 乗船料 ¥13,648 A期間、プライベートベッド1名+乗用車4m未満
2023/3/7 大分 さんふらわあ くれない 夕食 ¥2,000
2023/3/8 大分 さんふらわあ くれない 朝食 ¥700

イエローナイフ旅行記

オーロラを見にカナダ・イエローナイフへ行ったので旅行記を書いておく。

 (ここに書かれている情報は2023年1月当時のものであるということに留意してください。)

 

 いろいろあって去年12月末をもって退職することになり、1月がまるまる有給休暇消化期間となった。こんなに長い休みは人生においてしばらくないだろう。せっかくなので遠いところに旅行に行こうと思った。海外に行ったことがないので海外旅行をしようと考えた。何を見たいかを考えて、まず「オーロラが見たい」と思った。大学生の時に後輩が行った話を聞いていて自分もいつか見てみたいと思っていたからだ。

 初めての海外旅行だから航空券やホテルをいちから自分自身で準備するのは難しい。無難にパッケージツアーにしておこう。インターネットで”オーロラツアー”と打って調べた結果、旅行地にはヨーロッパ方面と北アメリカ方面があるようだ。

www.jtb.co.jp

 

 仕事で英語を少し使っていたので、自分の英会話能力が実際どこまで歯が立つか試したくて、英語圏である北アメリカ方面に行くことにした。予約の埋まり具合や値段から、イエローナイフ5日間を予約した。料金は大体40万円くらい。

旅行の準備

 パッケージツアーを申し込んだが旅行代理店に直接訪れることはなかった。旅行代理店とのやり取りはすべてJTB会員マイページのメッセージで行った。

尋ねられたのは以下の2つ。

  • 新型コロナウィルス3回接種済証明書を持参できるか
  • 現地でレンタルする防寒着のサイズ

カナダへのビザ代わりとなるeTAも忘れずに申し込む。料金は7カナダドル。2022年10-11月は1ドル150円にタッチするほどの歴史的円安だったので、少し待ってから申し込んだ(ドルはドルでもアメリカドルとカナダドルは異なるものだが、レートは連動していないこともない)。旅行に行く1月にまた円安にならないことを祈った。

www.canada.ca

 

eTA申請ガイド(日本語版)

https://www.canada.ca/content/dam/ircc/migration/ircc/english/pdf/eta/japanese.pdf

 

 以前は、カナダ入国の際には"ArriveCan"を使って登録を行う手続きがあったらしいが、2022年10月1日以降は必要なくなったらしい。

 念のため、「たびレジ」も登録しておく。

www.ezairyu.mofa.go.jp

 

 旅行保険については、クレジットカード付帯のもので済ますことにした。問い合わせ先などがわかるように書類をプリントアウトして持って行った。

 ネットについては、使っているキャリア(楽天モバイル)だと海外ローミングで2GB使えることが分かったので、普段のスマホをそのまま持っていくことにした。WiFiルータも持って行かなかった。

 旅行先であるイエローナイフでは、冬は-30℃にまでなるということだったので衣服などを購入した。

 

持ち物

  • 厚手の靴下x3
  • 厚手のインナーシャツx2(綿)
  • 薄手のヒートテックx2(重ね着して厚手1枚とみなした。ほかのサイトだとヒートテックは肌が荒れるからダメと書いてあったが、肌が弱くなければヒートテックでも全然いいと思う)
  • 厚手のレギンスx3
  • 厚手の靴下x4
  • 耳当て
  • ネックピロー
  • 薄手の手袋(はめながらスマホを操作できるやつ)
  • ネックウォーマー
  • 下着x5
  • ニット帽子(防寒着のフード+耳当てで充分なので使わなかった)
  • カイロ(貼らないタイプ)x10
  • スマホの保温ケース(Thermopoc)
  • 読書用の本
  • 腕時計
  • クレジットカード
  • パスポート
  • コロナウィルスワクチン3回接種済証明書
  • スマホ用三脚(これは結局使わなかった)
  • マスク5枚くらい
  • スマホ充電器
  • モバイルバッテリー
  • 筆記用具

 アイマスクや耳栓は「一回きりの旅行のために買うのもなあ。困ったら現地でも買えるし」と思って買わなかった。結局買わなくてもどうにかなった。変換プラグは必要ない、なぜならカナダは日本と同じ規格だからである。電圧は異なり110Vであるため、充電器が対応しているかどうかは見ておく必要がある。

 荷物はキャリーケース1個とリュックサック1個に収めた。

 成田空港に着く時間から逆算して家を出る予定を決めて、当日を待つ。

 

1日目(2023/1/18)

 1週間前くらいから生活リズムが完全に狂っていて、寝れずにいた。

 12:58東京駅到着。成田空港行のエアポートバスに乗ろうと思い八重洲南口の高速バス乗り場に行ったが、係員の方曰く「事故渋滞で1時間遅れる可能性がある」とのこと。東京駅ー成田空港は通常90分間。これが150分間になれば15時半に着く、もっと遅れるかも。18時成田発の便に乗るので、16時には空港についていなければならない。無用なリスクはとるべきでない。バスをやめ電車に切り替える。Googlemapに導かれるままに日本橋駅まで少し歩き浅草線に乗る。途中京成本線に入る。京成高砂駅スカイラインに乗り換え。成田って遠いんだなあ。
 14:30くらいに成田空港駅に到着。まず空腹を満たすためにサブウェイでエビアボカドを食す。時間があるのでぶらぶら探索。スーツケース用の鍵とサングラスを買おうか悩んだがやめておく。
 暇つぶしに展望デッキに出て、飛行機が飛び立つ様子を眺める。酒を飲みながら飛行機を見ている若い女性がいて「ああこの人は玄人だな」と思った。飛行機が助走をつけて離陸していく。月並みな感想だがあの薄い翼で鉄の巨大な物体がよく空を飛べるものだ。
 16時ちょい前になったので、JTBカウンターへ向かう。受付の方から用紙をもらい説明を受ける。もう一人同じコースの人がいるがだいぶ前に来てもう行ってしまったとのこと。イエローナイフでどの人かわかるだろう。申込人数が2人だけということをここで初めて知る。ツアーの予約もかなり埋まっていたし、もっと人数がいるものかと考えていた。コロナの影響で規模縮小しているのだろうか。
 Aカウンターに行き、教えてもらいながらチェックインし、Dカウンタでキャリーケースを預けた。ここで、マイレージの申し込みを忘れていたことにはあとで気づく。
 飛行機を眼前に見ながら、ペットボトルのお茶を飲み切る。いよいよ初めて海外に行くんだなという気持ちになってくる。

 

成田空港第1ターミナルにて


 ゲートにパスポートをかざして顔写真を撮って入る。その後荷物検査。自分の荷物が再検査のレーンに入っていってドキッとしたが何事もなく返却された。
 3階へ降りて出国ゲートを抜ける。免税店が軒を並べている。Akibaharaを全面に押し出したショップもあった。搭乗する44番ゲートは端っこにあった。ゲートの位置を確認して逆走しショップを見て回る。また来ることしばらく無いのだろうから。連絡通路は長いトンネルのようだった。

成田空港第1ターミナルの連絡通路

 17:15ころに44番ゲートに戻ると、列ができていた。"Zone4"とはなにかを調べようと思ったがwifiLTEも繋がらない。少し焦る。再起動したら治った。"Zone"は搭乗の優先順位のことらしい。列に並んで待つ。
 テレビでは大相撲初場所がやっている。案外海外の人はここで日本のイメージを醸成しているのかもしれない。
 列が少しずつ進んでいく。登場口にいる男性係員がパスポートと実際の顔を確認する。「ハロー」と言っているが日本語パスポートを見ると「こんにちは」に切り替わった。
 席は23H。右舷の通路側。真ん中は南米系の男性。窓側はインド系の女性だった。
 フライト時間は約8時間。日本時間18時から深夜2時まで。

 離陸はかなりあっけなかった。いつ離陸したかもわからないくらい。沖縄にフライトしたときはもっと感じるGがあったような、なかったような。
 英語アナウンスは早口で全く聞き取れない。ネイティブになるにはまだまだ程遠い。自分の英語力がまだまだであることを痛感する。英語アナウンスのあとに流れる日本語アナウンスのありがたさ。

 wifiが入らないのですごく暇。座席の画面で映画を見る。映画”Nope”に挑んだが英語字幕しかなく挫折。"アダムスファミリー"が日本語吹き替えがあったのでそれを流す。
夕食のワゴンが来る。チキン&パスタもしくはビーフ&ライス。
 "chicken please."と初英語。pleaseの発音がrになってしまった気がする。日本製のチョコパン?がついてきた。パンは食べ切れないのでキープした。
 夕食が片付けられると飛行機の中が暗くなる。
 リラックスするために座席の画面でカナダの音楽をかける。音量調整の仕方がわからず鳥の鳴き声がうるさい。結局イヤホンは外してしまった。
 寝ようとするのだが、座りながら寝るという行為は人類の設計の中には入っていない。体が上手く収まらなくてとても辛い。深夜バスとおなじだが時間はこちらの方が長い。隣の男性にあぐらをかくとよいことを教えてもらう。
 ネックピローは今回買ってよかったものの1つだ。顎を置けるというのはありがたい。フードがついていてそれで遮光もできるのも良かった。斜め左前の日本人男性がずっとスマホでアニメを見ていたから(日本語字幕であることはわかった)。

 日本時間の深夜1時頃、朝食が配られる。エッグもしくはヌードル。ヌードルを食べる。焼きうどんのような感じで日本人の味覚に合って美味しかった。隣の男性は”ベジ?(おそらくベジタブルの略)”と聞いていたので、宗教的なあれがあるのかもしれない。
 窓側の女性はずっと"special food"を頼んでいた。こちらもハラールとかベジタリアン料理とかなのかもしれない。この女性はずっと寝ていた。よほど疲れていたのかもしれない。

 パイロットのアナウンスが聞こえてくる。バンクーバー時間9:05AM(日本時間2:05AM)に着陸とのこと。高度が下がっていく様子は座席画面のフライト情報からリアルタイムで見られた。腕時計の時間をカナダ時間に合わせた。途中、乱気流で機体が揺れた。高度3000 feetくらいまでは窓の外には雲しか見えなかったが、着陸5分前になるとバンクーバーとその周りの景色が見えてくる。フィヨルドのような、島が点在する地形。古い陸海を長い年月をかけて水が浸食した名残だ。人の住めるところはほんとうに河口付近にしかない感じだ。

 飛行機を降りる。バンクーバーは7℃でそれほど寒くない。ただしイエローナイフは-11℃であり覚悟が必要だ。やはり海岸沿いと内陸では気候が違う。

 日付変更線を西から東に越えたため1月18日の朝がもう一度始まる。延長戦。
 国内線乗換のためCanada connectionの案内の方に進む。ネットで予習したのとはだいぶ違っている。イエローナイフ行きのチケットを紛失してしまったため再発行してもらった。機械に入力し入国審査を受ける。1問理解できなかったのが悔しい。
 手荷物検査ではカイロ10枚のうち7枚まではOKとなり残り3枚が没収された。なんだそれ。
 国内線ターミナルに入る。搭乗口のC29ゲートはすぐに見つかった。海外ローミングをONにしてネットにつなげる。
 今は10時、イエローナイフ便は17時。ひたすら待つ。本当はまっすぐ乗り換えするのではなく一回外に出て、バンクーバー空港のターミナル以外の場所も散歩してみたかったが、変なことして再入場できなくなっても嫌なので大人しく待つことにする。
 それにしても、イエローナイフの便は1日に1便しか出ていないのだろうか。仮にも準州の州都であるのにも関わらず。
 カナダはクレジット文化が進んでいると前情報で聞いていたが本当にその通りだった。現金が使えない自販機もあった。両替をするかどうか非常に迷う。自動両替機は20$の倍数しか引き出せないという謎仕様であった。最後まで両替をしなかったが旅行中特段困ることはなかった。
 機内でまともな睡眠が取れていないので眠くなる。これも時差ボケに含まれるのだろうか。これは単なる睡眠不足だ。

 時間があるので、C29ゲートの待合所で柞刈湯葉「まず牛を球とします」を読み切った。
 読書中ふと顔を上げるとカラスが歩き回っていた。空港職員らしき人も休憩していたが意に介していない。ちょっとしたカルチャーショックのようなものを感じた。自然豊かなのはいいことだが、椅子の背もたれにフンが付いていたのは、ちょっといただけない。

バンクーバー空港のカラス


 座りっぱなしなのもあれなので、ターミナルの中をぶらつく。ショップで英語で対面オーダーするのは怖くてできない。陰キャ言語学習に不利だ。
 ゲートABに向かう通路には飛行機の模型とディズニーのフィギュアが並んでいた。誰かの寄贈かな?

 空腹を満たすため、売店クランベリーのドリンクとfreshiiのサンド?を買う。カナダ初買い物である。

 17時頃イエローナイフ便。小型の機体。寝ていたので特筆すべきことはない。所要時間3時間くらい。

 イエローナイフ空港着。日はくれて夜。一面の曇り空であった。外は思ったより寒くない。空港に入ると大きな白熊が目に入る。赤い服を着た日本人ガイドの方が出迎えてくれた。客は自分を含めて5人ほど。ほかの旅行代理店から申し込んだ人と一緒になっているようだ。

イエローナイフ空港


 コンベアを流れてきた荷物を受け取って、バスに乗ってホテルへ。

 ホテルへ向かう途中でキツネを見かける。イエローナイフでは、野良猫ではなく野良狐を街中でちょくちょく見ることになる。街の誰かが餌付けしているという噂もあるようだ。

 Nova innはダウンタウンのやや端っこにあるホテルである。ホテルで防寒着を受け取る。部屋は207号室。ガイドの男性は山梨出身らしい。

 カナダのホテルの一般的なルールかどうかはわからないが、最初にクレジットカードで250$預けておき、部屋に損害があればそこから賠償費用が引き落とされるらしい。大体損害を出すことはないので250$は使われることなくそのまま返ってくる。

 ホテルの部屋はWiFi電波が飛んでいたが、PINコードが分からなかった。なくてもなんとかなったのでWiFiは使わなかった。

 

 防寒着は5点セット;

  • 防寒ジャケット
  • 防寒ズボン
  • 防寒ブーツ
  • 防寒グローブ
  • 目出し帽

防寒ジャケット。カナダグースであり、これを着ているだけで寒くない。

防寒ズボン

防寒ブーツ。汗で不衛生にならないよう寝る前に中敷きを外して干しておく。

目出し帽

(防寒グローブは写真撮り忘れた)

 23時前にオーロラビレッジ行きのバスが迎えに来る。30分ほどかけてオーロラビレッジへ。オーロラビレッジは山の中にある。街の明かりがない分、空が良く見える。
 バスの中でガイドの案内を聞く。先ほどのガイドとは別の方だ。
 ガイドさん曰く、オーロラを見られる条件は3つ;

  • 北緯60度以上であること
  • 夜であること
  • 晴天であること

今日のような曇り空ではかなり難しいとのこと。本来イエローナイフは晴天がほとんどだが、この冬は異常気象で暖冬になっているせいで水蒸気が多くなり曇りが多いのだそう。雲の隙間からもしかしたら見ることができるかもしれない。雲の隙間を探すには星を探すことをおすすめされた。また、イエローナイフは雲の流れが速いのでチャンスはあるとのこと。

 オーロラビレッジに到着。2:20までが鑑賞時間。

 使用にあたっての注意事項を聞く。

 ティーピーと呼ばれる先住民の建物がいくつかあって、中には薪ストーブがあり暖を取ることができる。温かい飲み物もある。ただし、飲み物をティーピーの外に持ちだしてはいけない。野生動物が寄ってくる危険があるため。この日は7番と9番のティーピーが使えた。休憩は30分に1回くらいが推奨。
 オーロラビレッジにはいくつか周りを見渡せる丘がある。一番人気はBuffalo hillである。オーロラが出やすいといわれる北の空を遮るものなく見渡せる。他にもRaven hill, Moose hillなど動物の名前がついた丘がある。
 ティーピーは湖に面したところにあるが冬は凍っており地上と同様になっている。湖上でオーロラを見ることも可能である。
 ダイニングホールと呼ばれる建物が本部のようになっており集合場所はここである。水洗のトイレもある。キーホルダーや、ポストカードなどお土産を買えるが、それほど充実しているわけではない、10$以上でないとクレカ支払いができない。
 丘の上やティーピーの周りには貸し出し椅子が用意されている。使った後は元の場所に返す。

 

オーロラビレッジのティーピー

 この日はずっと曇っていて、オーロラは見られなかった。

 ダイニングロビーはアジア人が多いように見えた。オーロラビレッジは前社長が日本人だったこともあって当初は中国、韓国、日本などアジアからの観光客が多かったそうだ。ただ、コロナによる渡航制限を受けて今はオーストラリアやアメリカからオーロラを見に来る観光客が割合として増えているらしい。東アジアやオセアニアから見て、オーロラが見える場所として一番近いのは北米大陸の太平洋側になるだろう。ロシアでも見られるかもしれないが、時世的に望めない話である。
 バスに乗ってホテルへ戻る。お風呂へ入り(ドライヤーの使い方がわからない)飛行機でもらったパンを食べる。ドアノブにはDo not disturbをかけておく。防寒シューズの中敷きを干す。就寝。
 長い1日であった。

2日目(2023/1/19)


 11時頃に起床。

 前もって申し込んでおいた市内観光ツアーに参加。バスで迎えに来てもらう。

www.veltra.com


 中国人の家族と覚わしき参加者が3組ほど。韓国人が1人、日本人(自分)が1人であった。ガイドは英語と中国語で説明していた。
 はじめにイエローナイフの石碑と飛行機モニュメントを見る。ガイドさんにphoto?と聞かれたので撮影してもらう。
 続いてグレートスレーブ湖に向かう。冬季は凍っており隣町への道路となっている。本来ならばこの時期は大型車も通行できるが、今年は暖冬で氷が薄く5000kgまでの重量制限がかかっていた。バスは湖入口に止まり湖上を散策する。車が通ってできた轍以外は見渡す限りの真っ白の雪原が広がっている。ここが湖上ということはちょっと信じられない。夏季は遠回りせねばならず40分くらいかかるらしい。

グレートスレーブ湖のアイスロード。車体重量5000kgまでに制限されていた。

 観光バスはOld townへ向かう。イエローナイフは旧市街(Old town)と新市街(Downtown)に分かれている。Old townはイエローナイフの中でも最初に居住が始まったところで、古い建造物が残っている。

 ガイドさんはバスの中で地域の歴史を話す。 

 イエローナイフがあるノースウエスト準州は英語、フランス語の他に9つの先住民族の言語がある。Old townの標識はその先住民族の言語が併記されていた。

Old townで見かけた標識。先住民の言葉で「止まれ」を示す言葉が併記されている。

"Ragged ass street"という地名の通りに差し掛かる。直訳すると「ぼろぼろの肛門」である。地名にしては下品な名前である。カナダではそこそこ有名なようで、wiki記事も存在する。

en.wikipedia.org

 

 かつて、この通りに建物を多く所有していた人物が、バーで友人たちと冗談でつけた名前であるそうだ。日本にも「尻毛」のような珍地名があるが、特定の人物が自嘲的に命名した地名というのは皆無なのではなかろうか。

 Pilots monumentはOld townの中心にある小高い丘である。高い山がないこの地域で、この岩の隆起物は開拓時に飛行機パイロットの目印として大きな役割を果たした。頂上からは遠くまで見渡すことができる。
遠くに見える山脈からは金がとれたそうだが、今はもう採れない。イエローナイフは探鉱の町であったのだ。

 Pilots monumentを見終えてバスに乗り込む前に、バス運転手の方が野鳥を見つけて教えてくれた。シマエナガのような大きさの真っ白な鳥が2頭いた(鳥の名前は聞いたが忘れてしまった)。夏は灰色の羽、冬は白い羽で保護色になっているのだという。ツアー客は"Cute! Cute!"と言いながら写真を撮っていた。出会えることはかなり稀らしい。

わかりにくいが真ん中あたりに鳥がいる。

 次の目的地Prince of Wales Northern Heritage Centerに向かうバスの中で食事の話になった。 

 ガイドさん曰く、イエローナイフの食事は大したものではないという。バッファロー、ヘラジカ、うさぎなど食べることができるがうさぎはあまりおすすめしないと。美味しいのはバーガーやフィッシュアンドチップスだそうだ。

 Heritage Centerについた。地域の民族資料館のようなもので、先住民族の道具や昔の映画館の椅子、鉱石などが展示されていた。展示室は3部屋に分かれていたが、1つ目の自然に関する展示室をゆっくり見すぎていたせいで、残り5分であと2つの部屋を見なければならなかった。時間があればゆっくり見たいところだ。

 バスの窓からは、まだ16時頃にもかかわらず日暮れが見える。高緯度地方における冬の日照時間は短い。

 最後にイエローナイフ市内にある観光案内所へ。イエローナイフに来た証明書とピンバッジがもらえた。

 バスでホテルへ戻る。最後にガイドさんが「ありがとうございます」と挨拶してくれた。

 

 少しホテルでウダウダする。
 ホテル近くであるCoyote'sに夕食を食べに行く。ゲームバーの2階にある。入り口は金属製の重いゲートだった。雪国っぽい。16時半くらいに行ったので空いていた。
 ご当地ならではの料理が食べたいと思いバッファローステーキをオーダーしたが今はやってないとのこと。かわりにバッファローを使っているハンバーガーを注文。あとオレンジジュースも。
 バッファローはまんま牛肉であった。
 テレビではアイスホッケーの試合がやっていた。マリオカートの画面が移されたテレビとスイッチもあった。
 食べている間に来客が増えてくる。
 チップの払い方が分からず不安であったが、会計時に支払額の15%、18%、20%を選んでクレカで払えるようになっていた。ウェイターさんには英語がわからないのに良くしてもらったので18%とした。

 腹ごなしにイエローナイフの街の中を歩く。イエローナイフはフランクリンストリート(50thストリート)が一番のメインストリートである。イエローナイフには「金でストリートが舗装されている」というジョークがあったらしい。それほどイエローナイフは金鉱山の街として有名だったということだ。実際には鉱山で取れた石が建物の柱に使用されている(らしい)。

フランクリンストリートにあった説明標識

 

 20時50分にオーロラビレッジのバスが来て出発。この時点では星空が出ていたのでかなり期待が持てた。オーロラビレッジに着いてから、ガイドさんの目にはうっすらオーロラが見えていると言っていたが素人目には分からなかった。

 

 ガイドさんの口ぶりから、オーロラ予報なるものがあるらしくネットを調べると以下のアプリを見つけたのでダウンロードした。(オーロラを見に行かれる方は前もってインストールしておくのがオススメです。)

 

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 アプリを見ると、オーロラを起こす磁気のエリアがまだ東南の方にあった。このまま待っていれば徐々にオーロラ発生エリアが西のほうに移動してくるはずだから待っていればよい。ところが、22時くらいから曇り始めてきてしまった。それでもオーロラは起きているはずだからと、地平線付近に光るものをオーロラだと思って撮影していたが、あとで車のヘッドライトだと知った。

 23時にオーロラビレッジ内でやっていた極寒体験ショーを見た。この時の気温はマイナス14℃。初めにTシャツを水に濡らしてハンガーにかけておく。次に濡らしたタオルを10回転振り回す。するとタオルはまっすぐな形のまま凍ってしまう。本当は-20℃以下だと、水から取り出してすぐに凍ってしまうからもっとインパクトがあるらしい。お湯を紙コップに入れて空中に放つと、水滴が一瞬で凍ってダイヤモンドダストのようになる。バナナも凍っていて釘が打ててしまう。ショーは20分ほどで終わり、最初に干したTシャツはカチカチになっていた。

 23時45分に延長チケットを25$で購入。終了時間を23:50から2:20に延長する。ここで延長しなければ後悔すると思った。しかし雲が晴れず12時以降もオーロラは一向に見えない。

 2時頃に雲が少なくなった。しかし磁気レベルが低くオーロラは現れない。オーロラビレッジに来るのは、この日で最終日なのでティーピーの前で撮影をしてもらった。その後、南の空に動く白いもやが現れるようになった。周りが「オーロラ」とざわつき始めた。皆、喜んでカメラを向けた。自分もやっと見れたと感激していた。しかし現像された写真を受け取っているときにオーロラビレッジのガイドの方から「あれはただの雲ですよ、オーロラであればもっと帯状に見えるはず」と言われた。ぬか喜びであった。人間は追い込まれると藁でも丸太に見えてしまうようである。訓戒として良い経験となった。集団心理は恐ろしい。
 結局オーロラは見られなかった…。

 ホテルに帰ってからも悔しくてなかなか寝付くことができなかった。

 

3日目(2023/1/20)


 10時くらいに起床。何も予定がないので、街中をぶらつく。
 昨日はDowntownの方に行ったので今日はOld townの方に向かう。フランクリンストリートをOld townに向かって北東に歩く。

イエローナイフ Old town鳥瞰図

 途中、お土産屋のGallery of the Midnight Sunに立ち寄る。キーホルダー、マグカップ、服2着を購入。10000円くらい。観光地価格なのかカナダの物価が高いのかはわからない。民芸彫刻なども並んでおり見ていても楽しめる。

Gallery of the Midnight Sunのマーク。初め兼六園の琴柱灯籠かと思った。


 凍結したグレートスレーブ湖の岸辺には船が置かれている。夏になるとここらへんの様相は全く違うものなのだろう。
 橋を渡っているときに、犬とソリを楽しんでいる姿を見た。犬は、黒くて大きくそばにいると威圧感を感じる。放し飼いのようになっているらしい。

 あと、カラスがでかい。後で調べたが、ワタリガラスという種類らしい。ハリーポッターに出てくる寮の名前「レイブンクロー」にもとになっている動物(Raven)だ。

イエローナイフ Old townでは犬をたくさん見かけた。

 

Wildcat Cafe、Bullocks Bistroの写真を撮り、ツアーで一度行ったPilots monumentに立ち寄る。昨日より青空がきれいだ。家々から立ち上る蒸気が異国の雪国に来たことを実感させる。

Pilots Monument頂上から周囲を望む

 

 道路には砂利が巻かれていて、それで車のスリップを避けているようだ。確かに、除雪や水をまいて融雪するのは氷点下の環境では不向きだろう。

 Downtownの方へ戻る。外出する前にシャワーを浴びたのだが歩き続けているうちに前髪が凍っていた。現地では誰もマスクをしていなかったので、マスクを外して歩いていたら鼻毛も凍った感覚がした。

この日の気温は-13℃。本当は-20~30℃まで下がっている時期なのでこれは暖かいほうである。風は強くないのであまり寒さは感じない。

 地元のショッピングセンター(YK Centre Mall)に立ち寄る。ここはカナダだが典型的なアメリカのスーパーという感じがする。果物が平積みで置かれていて、ケーキや牛乳は大きなサイズで売られている。日本食などは売っていない。パンパースのデザインだけは日本と同じであった。

ショッピングセンター近くにあった、どこか見覚えのある看板

 イエローナイフノースウエスト準州の州都であるが、人口は2万人ほどでしかない。日本でいうと軽井沢の人口と同じくらいである。それくらいの規模感の街が準州の中心地となっているのである。

 イエローナイフは冬を過ごすには過酷すぎる環境なので、夏はイエローナイフに住み、冬は南の都市に移動する、渡り鳥のような住民も数多くいるらしい(市内観光ツアーで聞いた)。なので夏における実際の人口は2万人よりも膨れ上がる。学生は夏と冬で別々の学校に通っていたりするのだろうか。

 イエローナイフの街はコンパクトで、大型ショッピングモールは街に1つしかない。映画館は3本の映画しか上映していない。映画館の前を通りかかったときはアバターの新作のポスターが貼ってあった。イエローナイフで働く日本人ガイドの方は現地の方に「イエローナイフに来て何して過ごしてるの?何もないよ!」みたいなことを必ず聞かれるらしい。

イエローナイフのバス時刻表。1時間に1本程度。

 夕食はホテル3階にあるレストランにした。Spicy Elk Stir Fry(ヘラジカ肉の辛味炒め物)とEgg Fried Rice(卵ピラフ)を注文。メニュー表の写真からは分からなかったのだが量がかなり多い。Spicy Elk Stir Fryは火鍋料理に近い薬膳の味がした(しかもけっこう辛い)。Egg Fried RIceは美味しかった。米が細長かったが対して気にならない。ウェイターのおばちゃんは中国返還前の香港出身だと別のお客さんと会話しているのが聞こえた。干支の話などもしていた。食べきれなかったので残りは持ち帰りさせてもらった。

Egg Fried RiceとSpicy Elk Stir Fry

 18時頃に風呂に入る。防寒着をまとめクロークそばに置いておく。明日の空港バスに間に合うために6時ころに目覚ましをかけ眠る。

 夜1時半頃に目が覚める。オーロラアプリでオーロラが見れそうだと知る。一縷の望みをかけて部屋の窓の近くに座って南西の空を眺める。すると縦に伸びる帯状の発光体が見えた。カメラだと緑色に映る。オーロラだ。見えないまま帰国になると思っていたがなんとか見ることができた。

ホテル部屋の窓から見えたオーロラ

 実物を見て分かったことだが、オーロラは肉眼で見るより写真に撮ったほうが緑色が出てきれいに見える。逆に言えば、「オーロラかな?」と思ったら、デジタルカメラで撮ってみて色がより強くついているかどうかでオーロラかどうか区別できる。色がついていなければただの雲である可能性が高い。

 オーロラビレッジで見ることができていれば、もっときれいに見えていただろうに。惜しかった。
 ホテルの外にでてみる。いくつかのかすかな緑色のオーロラを見ることができた。3時40分にホテル内に戻った。

 

オーロラが見えたときのアプリのスクリーンショット。見える確率は40%であった。

 

4日目(2023/1/21)

 朝6時、チェックアウトに向けて荷物を整理する、テイクアウトした料理も頑張って食べきった。
 7:50にオーロラビレッジのガイドの方が迎えに来て、空港行きのバスに乗る。日の出時刻は9時頃で、外はまだ真っ暗だった。 

 イエローナイフ空港は、地方空港なせいか、のんびりしている。最初は1~2人でチェックイン受付をしていたが、それでは予定時刻までに行列がはけ切らないとわかるとチェックイン受付の人数を増やした。それでも当初の出発予定時刻より30分くらい遅れたと思う。

 10時頃イエローナイフ空港発。隣の女性は"Memory and Democracy"と書かれた難しそうなプリント済論文を添削していた。大学生か大学教員なのかもしれない。

 時間を1時間戻して12時頃にバンクーバー空港着。液晶ディスプレイで乗り換え便のゲートと時刻を確認。55番ゲートはかなり端っこのほうにあった。途中で、行きには立ち寄れなかったエリアに行けたので良かった。

バンクーバー空港の名物であるミニ水族館

 搭乗前には、コロナウィルス接種証明書を空港係員に見せてチケットにサインをもらった。

 予定より30分ほど遅れて13時半ごろバンクーバー空港発。座席は隣が空いており、座る姿勢の自由度といった点で行きの便より楽であった。食事は行きと同じで2回あった。メニューは行きの便で選んだものとは反対を選んだ。食事にはわんこそばくらいの量のそばもあり、自分は軽いそばアレルギーなのだが「食事を残すのはポリシーに反する」という思いで完食したら、腕に蕁麻疹が出た。2回分の食事とは別に、サンドイッチ2切れとビスケットの配布もあった。機内では本を読んだり"フォレスト・ガンプ"を観たりした。恥ずかしながらトム・ハンクスという人物について、名前だけ知っていて顔を知らなかった。

 日付変更線をまたいで1月22日の日本時間17時頃、成田空港に到着。国際線乗り換えの人が先に降りる。この時点で半数以上の人が降りた。残りは日本に帰国するか日本に入国する人である。

 到着口からは誘導レーンがあり、こんなに人必要か?と思うくらい空港係員が定期的に立って黄色いチラシを配り案内をしていた。

 ここではじめて知ったのだが、日本へ入国する際はVisit Japan Webで手続きをしておくとQRコード表示が使えて手続きが簡便になるっぽい。

 

vjw-lp.digital.go.jp

 

 完全に準備不足だったので、Visit Japan Webの会員登録だけ自分で行って、コロナウィルスワクチン3回目接種証明書を見せて通してもらった。荷物を受け取り、税関に紙を出して日本へと戻る。

 18:30発のエアポートバスの乗車券を買い、東京駅へ向かい、帰宅した。

東京駅

 以上、イエローナイフ5日間の旅であった。オーロラを見るという目的は完全な形ではないにしろ達成できたのではまあよかったのではないかと思う。

読む力が弱まってきた?

昔より文章が読めなくなってきた気がする。ここでいう昔は、中学生・高校生の頃である。当時は、始業前の10分間に読書の時間があり各自読みたい本を持ってきて読んでいた。おぼろげな記憶ながら、その時は集中が途切れることなく読めていたと思う。だが、大人になってから紙の文庫本を持続的に読むことができなくなってきた。2ページくらい読んだところで思考が別のところに飛んでしまい文の意味が頭に入ってこなくなる。そうして本にしおりを挟んで閉じてしまう。だから一冊の本を読み切るのに時間がかかる。

 

「書く」行為について上手い・下手のレベルがあることは多くの人の共通見解としてよいだろう。文章力を鍛える、という言葉があるほどだ。力(ちから)と付いているのは、それが筋肉のようにトレーニングによって向上できるものであると信じられていることを示している。しかし、「読む」行為についてそのようなことはあまり言及されない。私は読む行為もトレーニングによって鍛えられるものだと考えている。逆に、その「読む力」はトレーニングをしなければ維持できず落ちてしまう。ここでいう読む力とは、読書時の集中持続力、文章読解力、漢字知識など、読書に必要な総合力だと思ってもらえるとよい。

 

その仮説がただしいとしたとき、私の読む力は高校生をピークとして下落の一途を辿っているというほかない。たしかに、高校生時代は教科書や模試問題で長い文章と向き合ってきた。今はそれがない。Twitterを見てばっかりいるから140文字以内の文章を読む力はついているのかもしれないが、それ以上はだめになっているのかもしれない。

 

ここまで書いていて気付いたが、自分が日ごろ目にしている文章すべてに対して読む力の衰えを感じているわけではない。仕事のメールやWeb記事など「横書き」の文章は苦も無く処理できている。文の意味が頭に入ってこなくなる現象が起こるのは常に「縦書き」の文を読んでいるときだ。

 

縦書きを読む力と横書きを読む力はそれぞれ別々に存在しているのではないか。読む力の中でも集中力はとくに文字列の方向に依存しているのはないか。

 

例えば、縦書き文章を読むときの集中力をV(Verticalの頭文字)、横書き文章を読むとき力をH(Horizontalの頭文字)としよう。ここにV=50、H=50の読む力を持つ人がいる。(値が高いほど集中が持続することを示す。単位は任意である。)この人に+30に相当するトレーニングを行う。ただし、トレーニングでは縦書きの本ばかりを読ませる。その場合、Vは50+30=80になるのに対し、Hはせいぜい50+5=55くらいしか上がらないのではないか。

 

高校時代の自分は、国語の問題文や小説で縦書き文章に触れつつその他の教科などで横書き文章にも慣れていたため、V=75, H=75くらいだったが、今は目に入ってくる文章の大部分が横書きであるためにV=20, H=80くらいになっているのかもしれない。

 

上記の主張については仮説の域を出ない。自分の経験を帰納しただけのものだ。どれくらい多くの人にあてはまるのかはわからない。「最近の若者は小説さえ横書きを好む」という意見は『恋空』などのケータイ小説が流行ったときにすでに聞いたことがあるので、すでに語りつくされてきた仮説なのかもしれない。

 

例えば、見開き2ページは横書き文章で書いてあるが、ページをめくると次の2ページは縦書き文章で書いてあり、その次はまた横書きの繰り返し…、みたいな本があったら、脳がつかれそうな気がする(日本語のルールでは縦書きは右から左、横書きでは左から右に文章が進むため、文章の方向が互い違いになってしまう問題もある)。縦書きと横書きとの間に処理負荷の壁を設けているのは眼球運動において使用する筋肉の違いなのかそれとも脳の処理系の違いなのだろうか。

 

 

「初回」の憂い

初めの手探り感はどうしても隠せないものだ。コンテンツというものは、たいてい、始まってから数か月または数年かけて徐々に洗練され、体系化され、効率化されていく。ゆえに、相対的に初期段階における成果物は垢抜けていないように見えてしまう。

 

事実、今この文章もかなり試行錯誤しながら書いている。そもそも、「~だ・である」調で書けばよいのか「~です・ます」調で書けばよいのかもわからない。文語的にきちんと書くべきか口語的にくずして書くべきか、その具合もつかめない。これだけの短い文章を書くのに、15分間くらい推敲している。

 

将来、この初回記事を見返したとき、スタイルや形式はその時のものとだいぶ違っているものになるだろう(書く習慣が続いていればの話だが)。そのことを「私はわかっていますよ」という気持ちを込めて、メタ的に初回記事をこのような内容にした。自分で見返したときのための予防線である。もし記事を古い順に読む人がいるのなら、デビュー作が常に代表作とは限りませんよということを伝えておきたい。